宇部市際波 N様

住宅
  • 宇部市際波 N様
  • 2009年10月完成

宇部市際波 仁井様--まず、家族構成を教えてください。私(45歳)と妻(46歳)、息子(18歳)の3人家族です。

--なぜ、家を建てようと思われたのですか。

当時、私は40歳手前だったのですが、家を建てるなら最後のチャンスだと思っていました。そんなとき、たまたまこの団地のそばをウオーキングしていたところ、分譲地の看板が掲げられていたこの土地と出会いました。向きが東南だったのに加えて角の区画だったので、買うならここだと思いました。

--マイホームはいずれ… という思いはお持ちだったのですか。

そうですね、やはりその思いはありましたね。息子に何かを残してやりたいとずっと思っていましたので。

--土地先行だったということですが、場所は厚南エリアと決めていたのですか。

はい。妻の実家が厚南ということが大きな理由です。結婚してからもずっと厚南に住んできましたし、当時は厚南中学校近くのアパート住まいでした。私の職場が厚南の近くなので、今はアパートのときよりも近くなりましたし、近くにトライアルやコンビニもあって便利ですね。大通り沿いではなく少し奥に入った場所なので、車の騒音もなくて静かです。生活するにはとても良いところですね。

--なるほど。土地を見つけてから家が完成するまでの流れを教えてください。

2009年の1月に土地を見つけて、2月中旬ごろに住宅ローンの審査が通りました。審査が決まって間取りを決めて… 正式にニシジュウさんと契約したのは3月でした。

2月ごろから1カ月半ぐらいかけて打ち合わせをして、3月中に着工したと思います。ある程度、ニシジュウの担当者・市川さんにお任せしていたので、私もああじゃこうじゃとは言いませんでした。

そして2009年10月に完成し、11月に入居しました。着工から完成まで全部で約半年くらいかかりましたね。土地に1カ月~1カ月半、家に4カ月、その後外構に1カ月かかりました。

宇部市際波 仁井様--家を建てている最中の思い出は何かありますか。

建築中は月に一度くらいのペースで様子を見に行っていましたね。棟上げが良い思い出として残っています。息子と一緒に、上から餅をまきましたから。

--心配なことなどはなかったですか。

家を建てると周りに言ったとき、「借金だ」なんて茶化されましたが、私はそうは思っていませんでした。それまでのアパートの家賃と同じ感覚だと思えば、気持ちの負担もありませんでしたから。

--家の広さ、間取りを教えてください。

土地が65坪で、建坪が37坪です。部屋は4LDKです。2階には子供の部屋と書斎、寝室とウオークインクローゼット。1階は和室とキッチン、トイレ、バス、リビング、ダイニングです。

--新居で生活を始めてから、なにか変化はありましたか。

そうですね。息子の友人がよく遊びに来るようになってにぎやかになりました。息子は自分の部屋ができて「たくさん友達が呼べる」と特に喜んでいましたから。

私の友人もよく来るのですが、なによりこうして「集える場所」になったことが嬉しかったですね。リビングを広くして正解でした。

--家についてはどうですか。

出来上がってから「落とし込み天井」にしたのですが、たまたま木のアクが染み出てきたことがあって。分からないように天井の色を塗り替えてもらいました。今は、差し掛けを作りたいと相談しているところです。

--「家はこのようにしたい」という希望やこだわりはあったのですか。

リビングは広くしたいと思っていました。それと、息子の出入りが分かるようにとリビング階段にしました。あとは担当者の市川さんにお任せでした(笑)。キッチンの色のオレンジは妻が決めて…。

--大部分がお任せだったのですか。

はい(笑)。実は市川さんとは高校時代の友人でして、ひょんなことから20年振りに再会をしました。この家が建った理由は「市川さんがいたから」と言っても過言ではありません(笑)。

市川さんに任せておけば、きっちりとやり遂げてくれると思っていたので、自分が「ああして、こうして」と無理なわがままを言っても仕方ないと思っていましたし、信頼して任せていました。

宇部市際波 仁井様--ということは、初めからニシジュウで建てると決めていたのですか。

そうです(笑)。どこのメーカーにも行かず、他社の展示場も一切見ずに決めました(笑)。

でも、結果的に非常に満足しています。全体として良かったですよ。私の仕事でもニシジュウさんに毎月伺っていることもありますし、市川さんとも個人的な付き合いがあるので、とても濃くて良い関係だと思っています。

--ニシジュウで建てて良かったと思うことはどんなところですか。

ニシジュウの良いところは、無理な提案をせずに、私たちの生活を考えた提案をしてもらえるところです。差し掛けの相談をしていると言いましたが、お金が掛かることなので、「まだ待てるなら、息子が高校を卒業してから作ったらどうか」というようなアドバイスをしてもらえます。とても親身になって考えてもらっていますし、本音で話すことができます。

個人的なことを言うと、市川さんとは20年振りの再会だったので、家づくりを通して良い友人ができたという思いもあります(笑)。

--今後は、この家でどのように暮らしていきたいですか。

やっぱり、これまでと同様に友人がたくさん集まることができるオープンな家、家庭でありたいですね。

将来的には、息子が結婚したらこの家は譲ろうと思っています。今はまだ、息子が家を出るかどうか分かりませんが、帰ってくることができる家があるという環境はとても大切だと思うので。


インタビューアー:札本咲子(山口宇部経済新聞/株式会社ネットウェイズ
2015年1月

 

TOP